【文春】「少年隊はクオリティが異常だった」格差が生まれた“本当の理由”と再結成の布石となる“超高額商品”
 「少年隊はクオリティが異常だった」格差が生まれた“本当の理由”と再結成の布石となる“超高額商品” 
 1/20(水) 17:12 文春オンライン 
 https://news.yahoo.co.jp/articles/79f4acc97b9f832ef817b7c02a93fc9d4000032e 
 (※抜粋) 
■「少年隊は自分の最高傑作」
少年隊は1981年に「Bチーム」という名前で錦織、植草、松原康行の3人で結成された。1982年に松原の代わりに東山紀之(54)が加入して少年隊となり、田原俊彦(59)や近藤真彦(56)のバックダンサーとして活動。そして満を持して、1985年12月12日に「仮面舞踏会」でデビューした。翌年のレコード大賞最優秀新人賞に輝き、紅白歌合戦では白組キャプテンの加山雄三が「仮面ライダー」と紹介したハプニングもおなじみだ。
「一昨年亡くなったジャニーさんは、デビュー前から少年隊をフジテレビの『夜のヒットスタジオ』に出演させたり、ロサンゼルスでレッスンを受けさせるなど、すごく力を入れていた。当時のジャニーさんはまだ50代で、少年隊は自分の最高傑作だと自信をみなぎらせていました」(音楽関係者)
少年隊もジャニー氏の期待に応えた。デビュー曲の「仮面舞踏会」から「デカメロン伝説」「ダイヤモンド・アイズ」「バラードのように眠れ」「stripe blue」「君だけに」「ABC」とヒットを連発した。だが、それも1989年6月発売の「まいったネ 今夜」までだった。
■時代は光GENJIからSMAPへ
「平成に入って、急激に失速した感は否めませんでした。その後に目立った楽曲は1998年の『湾岸スキーヤー』くらい。3人そろっての活動は、毎年夏に行われる『PLAYZONE』に限られてきました」(スポーツ紙芸能デスク)
少年隊失速の一因になったのが、1987年8月に「STAR LIGHT」でデビューした後輩の光GENJIの存在だ。光GENJIは「ガラスの十代」「パラダイス銀河」とスーパーヒットを連発して大ブームを巻き起こす。
「中高生の女の子には完成度が高く芸術的な少年隊より、ローラースケートを履いて悪ガキっぽい光GENJIの方が受けました。しかし光GENJIもデビュー3年くらいで失速して、1995年に解散。時代はSMAPへと移っていきます」(女性誌編集者)
光GENJIがブームを巻き起こし、SMAPが頂点を極めるなか、少年隊は変わらなかった。ジャニーズ事務所随一のクオリティを誇る歌と踊りを毎年「PLAYZONE」の舞台で披露し続けた。その舞台で共演した後輩たちは、その後ジャニーズ事務所を支える大きな力になっている。
■くっきりとわかれていった少年隊内の明暗
「TOKIOの城島茂(50)や嵐の大野智(40)などが少年隊に憧れてジャニーズに入り、少年隊の薫陶を受けてスターの階段を昇っていきました。TOKIO、V6、嵐、関ジャニ∞、NEWS、Kis-My-Ft2のメンバーたちも、『PLAYZONE』で少年隊を間近に見ることで成長していったんです。しかし2008年8月の『PLAYZONE』終了後はKis-My-Ft2らに受け継がれ、少年隊が揃って活動する機会は、その後12年以上もありませんでした」(テレビ関係者)
それ以降、少年隊内の明暗は日を追うごとにくっきりとわかれていった。
「東山は俳優、そして司会者、キャスターと幅を広げていきました。一方で錦織は俳優、舞台演出家として、植草は俳優として活動していましたが、活動はどんどん縮小していった。格差が目立ってしまいましたが、それは仕方ないこと。少年隊は人数が少なすぎたんです。
光GENJI以降は多人数アイドルグループの時代。4人以上のグループなら、1人だけ売れても他のメンバーの連帯は崩れないし、1人くらい落ちこぼれても大勢に影響はない。でも少年隊は3人。1人が売れても突出するし、1人だけ売れなくなっても目立ってしまいます。少年隊は3人そろった時のクオリティーが異常に高かっただけに、格差がはっきりしてきた30代以降はグループとしてのテンションをキープするのが難しかったと思います」(テレビ関係者)
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
 >>1 
 2曲目にデカメロンはないわな春風にいいねにしとくべきだった 
キスマイに引き継がれた???
 東山がジャニーズアイドルの枠を越えられなかったのが原因 
 いろいろ言われるが木村拓哉人気がジャニーズを本当の芸能界のメインストリームに押し出したのは間違いない 
 >>8 
 確かにキムタクが出てくるまで、でもジャニーズでしょ?みたいな子供のお遊戯会みたいに甘く見られる風潮はあったね。今もあるのかな 
 >>18 
 木村だけじゃなくてKinKiも出てきてから 
 「ジャニーズ?何それダサい」という雰囲気が変わったんだよ 
 >>8 
 俳優としての活動は田原俊彦も頑張ってたんだけどな 
 ダンスもうまかったし 
 >>66 
 そんな上手くないと思う 
 脚がとにかく長い 
少年隊は異常
必殺仕事人も板に付いてきた
 >>11 
 あんなイケメン主水はいやだなあ 
 城島茂あたりでちょうど良いのに 
 >>15 
 あれはモンドじゃなくて渡辺小五郎という別人で 
 モンドとは違って嫁姑にチヤホヤされてるらしい(wikiより 
まぼろしのAチームでもいたのか?
 >>14 
 リーダーは通称ハンニバルだな 
ニシキに似てると言われてググったら全然褒め言葉じゃなくて泣いた
 >>16 
 若い時はイケメンで綺麗な顔してたんだぞ 
 少年隊はデビュー時すでに完成しすぎ感があった 
 仮面舞踏会の次がデカメロンってのもズコーで 
植草を地上波で見れるのは渡る世間は鬼ばかり 世界まる見えぐらいだったな
湾岸スキーヤーの動画見たけど錦織うまいなびっくりした
少年隊はニッキのものだからな
 東山のせいで面白トークとか封じられてたのに 
 今頃になってバラエティに出ばりやがってクズが 
大技を決めないシブがき隊に対して、大技を決めまくる少年隊は憧れだった
 植草一秀は 
 何で俳優で売れなかったの? 
 >>51 
 しぶガキでいえば布川枠だから 
 >>51 
 ワタオニしかでてなくね? 
 とにかく東ごり押しウザッ 
1985年12月12日 仮面舞踏会 1位
1986年3月24日 デカメロン伝説 2位 作詞:秋元康
1986年7月7日 ダイヤモンド・アイズ 1位
1986年11月28日 バラードのように眠れ 1位
1987年3月3日 stripe blue 1位
1987年6月24日 君だけに 1位
1987年11月11日 ABC 1位
 >>52 
 知らないのが2曲ある… 
 >>52 
 デカメロンの時の一位はニャンギラスだな 
 その頃のおニャン子に初動で勝てるの明菜くらいだったから、 
 まあ仕方がないとも言えるが、、、 
 ヒガシがマイケルジャクソンのコピー。リアルタイム知らないけどよく訓練されてる。 
 光GENJIのローラスケートのバック転も凄いし80年代面白いね。何で90年以降は特技あるチームがいないんだろ?時代? 
 >>53 
 技持ってる面々は東山が舞台に閉じ込めていびりつぶされたから 
世代じゃないからよく知らんけど人気あったイメージがない
 少年隊はデカメロン伝説~バラードのように眠れまで3曲連続で 
 糞曲が続いたのがクオリティの割に大成しなかった原因だろう 
 それでも年間TOP10が2曲あって凄いが 
 >>57 
 仮面舞踏会の次に君だけにを出してたら路線もまた違ったと思う 
 >>57 
 デカメロンがクソなのは全世界統一見解 
 でもバラードのように眠れは名曲だろ!( *`ω´) 
 >>70 
 よくこんなに踊れるねえー 
 嵐なんかとは大違い 
 >>70 
 でもジャニーさんからは嫌われてた? 
 >>78 
 嫌ってたのメリーさんだろ 
 >>78 
 ジャニーさんは基本的に錦織を買ってたでしょ 
 でもジャニじい誰にでもいい顔するから😞 
 人気があったのは認めざるを得ないが 
 歴代最高はSMAPだろうなぁ 
 >>72 
 人気はそうだけど、ダンス含めたクオリティは少年隊だと思うよ。ド派手アクションしながら歌えるし 
この前免許の更新で飲酒運転ダメよビデオ見させられたら、飲酒運転して家庭崩壊させたお父さん役でフッくんが出てた
錦織はダンスも上手いし歌も上手い
錦織が副業でトラブル起こしたから
 >>81 
 それでか 
 クラスの女子はほぼニッキ派だったし、男から見てもいい顔してるなーと思ってのはニッキだったのになんで、と 
 若い頃の錦織、おデコ狭いし毛量多いしで 
 まったくハゲそうになかったのにな。 
錦織が急にハゲたのが原因だと思うが
芸能人運動会でよく見かけた忍者は少年隊の弟分として紹介されてたけど、ジャニーズじゃなさそうだな
 クラスの女子は光GENJIにキャーキャー言ってたけどおれは少年隊のほうがカッコ良くて好きだった 
 小学校低学年の頃 
 こういう記事からいつもなぜかキンキキッズは省かれる不思議 
 あれだけ活躍し人気だったのに… 
 シブがき隊がいたからな 
 子供ながらにまた似たようなの出てきたとしか思わなかった 
錦織は少年隊の前からピンで目薬か何かのCM出てたからソロでデビューするかと思ってた
Source: エクレレ速報3号

 
  
  
  
  