【紫桜倖那コラム・むらさきの景色 Vol.07】 水を蹴って

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【紫桜倖那コラム・むらさきの景色 Vol.07】 水を蹴って

いつも頭の中に音楽が鳴っている私も、
水の中にいるときだけは、無心になれる。

5年ぶりに泳いだ。
とても気持ちがよかった。

はじまり

『水泳かバレエ、どっちがいい?』

振り返れば、それが初めての『人生の分岐点』だった気がする。
小学校低学年の時だ。

幼稚園に通うときからピアノは習っていたが、ピアノが弾ける母(すごく上手い)から生まれた私は、ピアノを弾くことは生まれる前から決まっていたようなものであって、私にとっては人生初の選択だった気がする。

3歳差の弟は小さい頃からぜんそく持ちで、
改善のためにスイミングスクールに通っていた。

私は至って健康体だったが、
弟と同じ時間にできるからだろうか、習い事として勧められたのが弟と同じ水泳か、一緒のスクールで受けられるバレエだった。

どっちも見学をして、
そんなに迷うことなく『水泳』と答えた記憶がある。

そこに通っていたときのことはあまり記憶に残っていないが、終わったあとに食べられる小さな「かにぱん」が好きだった。
カニの形をしたパン。
素朴な甘さで、ちぎって色んな形にできる。
今もコンビニで売っているので、たまに買っている。

小学校4年生になるとき、
生まれ育った神奈川から母親の実家である鹿児島に引っ越すことが決まり、引っ越してからは別のスイミングスクールに通った。

終わったあとの楽しみは、
「セブンティーンアイス」に変わった。

小学校高学年にもなると、
単なる泳ぐことから”競技としての水泳”に変わる。
大体どこのスイミングスクールにも進級テストがあって、最初は泳ぐこと、泳げる種目を増やすことが目的だが、級が上がってくるとタイムが必要になる。1級を超え特級になると、選手コースに行く子も増えてくる。

1級にいた覚えはあるが、
体の成長と共に速くなる周りについていけず、
身長は小さいまま、周回練習では後ろから追いつかれ、前にも追いつけなかった。
心も息も、苦しかった。

そのまま小学校卒業とともにスイミングスクールをやめたので、通っていた頃を思い出すとその事ばかりになる。

久しぶりに泳いで

実は一人で泳ぎに行ったのは初めてだったので、少し緊張した。
しかしそれは杞憂に終わる。市民プールの平日午後は年齢層の高い人ばかりで、泳げる人であってもゆっくりだったし、何より空いていたのでレーンを一人で泳ぐことができた。

準備運動をして、手始めにゆっくり泳ぐ。

息を吸って、水の中へ潜り、壁を蹴る。

久しぶりの水中。
最初は多少潜ってから水面に向かい、泳ぎ始める。
床に近いところは、水圧がとても気持ちよかった。

私、これが好きだったなあ、と思った。

25mをゆっくり泳ぎきって、25秒くらい。
もちろん早くはないけど、高校生の時の全力が18〜19秒台だったのでこんなものだと思う。
(高校生最後の方は、少しだけ大人クラスに通っていた時期があった。)

何度かゆっくり泳いで、次はサークル練習をする。
久しぶりなので、45秒サークルから。
「25m泳いで、次のスタートまで休む」までが45秒。

25秒で泳いだら20秒休める。
ゆっくりやるならこれくらいがちょうどいい。

徐々に感覚も戻って、ちゃんと泳げば20秒近くになった。
30秒サークルにしようと思ったがこれは結構疲れる。
基本は右側通行で25mプールを往復して泳ぐのだが、特に帰りはキツい。
自分が行きで泳いだ水の流れに逆らうからなのか、単に疲れているからなのか、理由はずっと考えているが答えは分からない。
だってまた行きは多少楽だから。不思議。

このサークル練習は普通50mでやるので、ちょっと試しにやろうと思ったけど、ターンが下手すぎた。
また練習しなきゃいけないな。そう思った。

水の中に見えた”輝き”

サークル間隔を縮めて泳いでみたり、クロールだけでなく平泳ぎやバタフライでも泳いでみたりして、昔の苦しさが蘇ってきた。

息継ぎをしてもすぐにまた苦しくなる。
あともう少しで壁に手が付くはずなのに、思うように進まない。
昔は前にも後ろにも速いペースで泳いでいる人がいた。
息を吸っても吸っても速くなるどころか遅くなる。
踏ん張って泳ぎきっても、息を整える暇もなくまたスタートさせられる。
なんでこんなに遅いんだろう。悔しかった。

──でも、思えばすごいちゃんとやっていたんだな。

道半ばでやめてしまったけれど、
あの期間がなかったら歌は上達していなかったかもしれないし、去年の1カ月毎日路上ライブにひとり旅なんかもやり切れなかったかもしれない。

もちろんちゃんとしたスクールだから当たり前なんだけど、マイペースに生きている今、こんなに自分を追い込んでいた時期があったことに驚いていた。
惰性で”通わされていた”なんて時期もあったが、その時なりに毎回頑張ってやっていたのだ。

今はただ、無心で泳ぐ。
無心で、というよりかは、無心になれてしまう。
私は基本何をしていても何かが頭の中で邪魔をするし、いつでも頭で音楽が流れているタイプだ。
でも、水の中だと違う。
ただ体を動かすことだけを考えられた。
休憩中に聞こえる、プールで流れている流行りの曲だって、続けて頭の中で流れたりなんかしない。

強いて言うなら泳ぐときにリズムは感じている。

タン、タン、タン、タン
同じテンポで泳ぐ。

ちょっと不思議で、
でもそれがなんだか楽しいのだ。

もう日が傾き始める時間、側面に大きな窓の付いているプールには日が差し込んで、自分のレーンの水面がきらきらと光る。

そろそろ最後にしようとゆっくり泳ぎ始めたら、
プールの底に、外からの光が虹のように揺れていた。

綺麗だなぁ。
今日、来てよかったな。

──純粋に泳ぐのが”楽しかった”と、
年を重ねて塗り替えられた記憶で初めてそう思えた日だった。

すぐに来た肩周りの筋肉痛も、ちょっと誇らしい。
フリーになってから体を動かす機会が減ったので、また時間を作って行きたいと思った。

何を選んだとしても

最初に『人生の分岐点』と書いたが、
例えばバレエを選んでいたらどうなっていたのだろう。

そんなことを考えたことはなかったが、
つい先日友人に『もしバレエを選んでいたら』と言われ、少し考えてみた。

また違った私がいたのだろう。
そもそも全く違った人生を送っていたかもしれないし、もしかしたら、もっと早く芸能の世界に入っていたかもしれない。

アイドルになっていなかったかもしれない。
合唱じゃなくて、吹奏楽をやっていたかもしれない。

でも、あれから大分時間が経っているのでそんなことを考えても今どうなっているかなんて全く分からないし、その結果を今更うらやましがったりなんかしない。

大人になって、ちゃんと理由をつけてから何かを選択することが増えた。
つまり、理由をつけて選択”しない”こともある。

大事なことも増えるから本当に悩むし、”あっちを選んでいたら良かったかも”なんて後々思うこともある。
でも、その選択しなかった方に色々考えてもしょうがない。

今は今で幸せだと思えることがある。
あの時は苦しかったし途中で投げ出したかもしれないけど、また泳ぐことを”楽しい”と思えた自分はいた。

あれから十数年後、アイドルをやっている自分がいる。
楽しいと思える時間がある。

また、そんな自分がいたから、今ここにいる。

だから、その直感を信じてあげたい。
“今この瞬間”の自分の直感も。

きっと大丈夫。
何を選んだとしても、楽しめるよ。

最近すべてに臆病になっていた自分へ。
そしてこれを読んでいるあなたへ。
水を蹴るたびに、波紋が広がっていくように。
このエールが、そっと届けばいい。

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紫桜倖那(しおうゆきな)
アイドル・アーティスト・モデル。3年半のアイドル活動を経て、フリーランスとして活動中。
“やってみたい”を合言葉に、音楽・芝居・写真・イベント企画など、心惹かれることはなんでも挑戦。ジャンルを越えて、自分らしい表現を広げ続けている。
夢は、仲間とファンと一緒に“大きなむらさきの景色”を見ること。

[お手紙・プレゼントの送り先]
〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町17-2
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