転載元: https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1775444082/

※本稿は、藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
■なぜプロ野球球団の買収に乗り出したのか
離婚後、孤独を乗り越えてエネルギッシュになれた僕は、球団買収に乗り出した。
「野球界を良くしたい」という思いからだ。でも、関係者からは好意的に迎えられなかった。僕がどうやって旧弊な勢力と戦ったのか。その騒動についてお話ししたい。
「古い世代に楯突くなんて」とビビりがちな人にこそ、読んでほしい。
僕は運動が苦手だったので、野球選手になりたいと思ったことは一度もない。試合を観るよりも、「プロ野球選手名鑑」のようなデータブックを読むのが好きだった。
野球チームのマネジメント的な役割を担う人がいることなんて、子ども時代は知らなかったが、そういうものへの憧れはあったのかもしれない。
2003年の年末、講演会で福岡に招かれた僕は、ダイエーホークスの社員さんと話す機会があった。
「堀江さんの会社で、ダイエーを買ってくれませんか?」
冗談めいた口調だったが、彼は身売りの噂が流れていることを憂いていた。
■「前向きに進めたい」と言われるも音信不通に……
「さすがに、うちの体力ではダイエーは買えないだろう」と思ったが、その後、近鉄が身売り先を探しているという報道が飛び込んできた。大赤字を抱えていると聞き、連絡を取ってみると、近鉄からは「前向きに進めていきましょうか」という回答をもらった。しかし、ほどなくして近鉄側と音信不通になってしまう。
おかしいなと思っていると、オリックスとの合併話が進んでいると聞こえてきた。
仕方なくあきらめていたところに、「近鉄とオリックスとの合併話が難航している」と教えてくれる楽天の人がいた。
そこで僕の情熱もよみがえってきた。「三木谷さんが名乗りを上げることはない?」と確認したところ、彼は「ない」と答えてくれた(このやりとりが後々、大きな伏線となる……)。そこで、僕は安心して買収に本腰を入れることにした。
(略)
■球団買収、設立を潰されて得た100億円の棚ぼた
最初に参入を表明したのは僕らだった。仙台を本拠地に選んだのも、浅野知事の承認を得たのもライブドアのほうが先だった。地元メディアの取材には積極的に対応したし、現地で飲食をするなど、仙台という地に馴染む努力もした。東北の他県にまで“遠征”して、東北密着型の球団になることも訴求した。
しかし、最終的には「老害」たちが密室で決めることになる。なんとも前時代的で、不健全な話だと思わないか?
11月2日。結果的に、新球団は「楽天」に決まった。
そもそも僕が新規参入に名乗りを上げなければ、楽天が新球団を作ることも、東北にプロ野球チームができることもなかったはずだ。だから、僕らは旧態依然としたプロ野球界に風穴を開けたのだと言える。浅野知事からは、こんな言葉をもらった。
「ライブドアがNPB(日本野球機構)を動かした。それは歴史に残ることです」
とにかく、この件でライブドアの知名度は急上昇した。日本人独特の判官贔屓という感覚も手伝って、好感度も得られた。宣伝効果でいえば100億円以上になるだろう。実際、ライブドアの株価は急上昇した。
経営者としては「試合に負けて、勝負に勝った」と捉えている。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4b785c5c32819216fc695441487a1aca947eb07?page=1
