歌手・西川貴教主催の「イナズマロックフェス」3日目(9月19日)が、台風14号の影響で中止となった。中止の理由は台風接近に伴い、来場者の交通手段の確保が困難であることを考慮。苦渋の決断に西川は「受け入れなきゃいけない!」とコメントした。
西川は、1989年にバンドLuis-Maryを結成し、1991年にメジャーデビュー。バンドでは、ボーカルを担当するも1993年に解散した。1996年、ソロプロジェクト・T.M.Revolutionとしての活動を開始し、『NHK紅白歌合戦』では5回の出場経験を持つ。以降は、ドラマやバラエティ番組にも出演し、自らデザイン・企画を務めるファッションブランドを立ち上げるなど活躍の幅を広げている。私生活では、1999年4月にPUFFY・吉村由美と電撃結婚。大きな話題を集めたが、2002年7月に離婚した。
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それから9年後の2011年7月、当時40歳の西川は18歳年下のモデル・菜々緒(当時22歳)との熱愛を『FRIDAY』(講談社)に報じられ、再び話題を集めた。同誌では、2人の手つなぎツーショットが掲載。記事によると、2人は西川のラジオ番組で共演したことがきっかけで知り合い、2010年秋ごろから西川が好意を寄せるようになり交際に発展したという。同誌は、2人が都内の飲食店のカウンターで食事をし、その後は堂々と手をつないで街を歩いていたと伝えた。
報道を受け、西川の所属事務所では「プライベートは本人に任せている」とコメントし、菜々緒の所属事務所はノーコメントとした。何より、話題となったのは2人の身長差。菜々緒は西川より11センチ高く、18歳&11センチ差カップルの行方が注目された。
ところが2013年2月、2人の破局を『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社)が報じた。記事によると、2人は夕食に何を食べるかでもめるなど、小さなケンカを繰り返してきたといい、同年1月のケンカ後に菜々緒が西川の自宅を飛び出したとしている。その後、菜々緒は西川との連絡を絶って近い関係者にも「別れました」と報告し、仕事にも精力的に取り組んでいると伝えた。
さらに同紙は、西川も離れた菜々緒を追うこともせず、これに周囲も「完全に終わった。特に菜々緒はスッキリした感じで、前よりも元気にしている」と同誌で証言。双方の所属事務所とも同紙の取材に否定も肯定もしなかった。
一方で、同月の『週刊文春』(文藝春秋)では、菜々緒が故・志村けんさんのハートを射止めたと示唆。当サイトでも同月、西川との破局の裏に志村さんが関係している可能性を報じた。
翌3月、菜々緒は女性ファッション誌『GINGER』(幻冬舎)で西川との破局を赤裸々に告白。菜々緒は、西川と別れた経緯について「自分の気持ちがすごく大きくて、相手に負担をかけてしまう部分もあった」と回顧。続けて、「決して感情の爆発で別れるというのではなく、今までどおり、冷静に考えて判断して、それを行動に移すという流れの中でのこと」と打ち明けた。
さらに、菜々緒は西川との恋愛について「『2年半ずっと、片思いしていた』って感じ」と吐露し、「一度恋愛がダメになると、そこからの切り替えがすごく早い」と吹っ切れたそぶりを見せた。
その一方で、同年9月発売の『女性セブン』(小学館)では、西川と吉村の急接近ぶりを報じ、菜々緒との交際中には西川が吉村に相談していたとも伝えている。記事では、吉村にとって、西川は今でも大切な存在とし、菜々緒が『GINGER』で「2年半ずっと、片思いしていた」との発言に対して吉村が激怒したという。
菜々緒が西川に「片想いしていた」のかは謎だが、少なからず吉村を意識していたことはなきにしもあらず。
その後、菜々緒は数々の俳優らと浮名を流すも、結婚には至っていない。一方の西川は2020年8月、元フリーアナウンサーで23歳年下の一般女性との再婚を発表した。
今年10月、映画『七人の秘書 THE MOVIE』の公開を控える菜々緒は、西川との交際で知名度を上げ、今となっては“悪女女優“の代名詞となった。西川ともに活躍の場を広げ、今後にも目が離せない。
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